昭和41年06月05 朝の御理解



 私共人間氏子の思う浅はかなおかげというんでしょうか。たかが知れてる。信心をしておかげを頂くと云う事が、その浅はかな私どもである自覚にたって、どんなに気が利いておろうが、どんなに頭が良かろうがね。気が利いておる、頭が良い事位で出来る様な事、まぁそれだけの事。
  どんなに馬鹿でも、阿呆でも神様のおかげを頂いてと云う事は、それこそ天地が自由になられる程のおかげになって来るのですから。その天地が自由になって下さるほどの、印しを見せて下さるので御座いますから、そのおかげを本当に頂かなければ、それにゃどうしても神様のお心にぴったりこぉ添うもの。天地がご発動して下さる為には、その動かす力というものは人間の真心。
 言うならスイッチ一つである。何升かの米を作るのに臼で突いて長い時間掛かって、突き上げるのがまぁ人間のまぁいうなら働きでしょう。一俵の米二俵の米があっという間に精白される。精米所に持って行ったらそこで電気が入りさえすればね、瞬く間に精白出来る様な、その位の違いでもなかろうけれど、もっと大きな違いでしょうけれども神様のご発動が始まったら、そんなもんそれこそあっという間である。
 ですから、私共はそこの所を、真心とは、真心とはと。信心とはと。どこにスイッチがあるかと云う事を分からせて頂く為に、磨きもする、改まりもする、修行もさせて頂くのであるね。そこのところをおいて、いかに神様の前に逆たんぼう打った所で、始まったこっちゃあない。そこのところを分からせて貰う、信心にならなければならんとと思う。昨日、夜の御祈念のちょっと前に、熊本から3人お参りがあった。
 1人はあの「ショクダ」さん熱心に参って来る夫婦で。で、奥さんが大体が大変体が弱い方でもう、この世の者じゃないと、大体もう言われておる位な弱い体でありますけれども。おかげを頂いて、それが丁度一月前位だったでしょうか、もう難しかろう様にあって、病院に入院した。おかげで、非常に医者もたまがる様に、おかげを頂いてから、この10日に退院のおかげを頂く事になりましたからというお礼だった。一人は、宮崎さんと言うて、素朴なやっぱり熊本と言うてもなら、田舎の山ん中の方達なんです。
 もうそばが出来る位ですから、そうとう山ん中だろうと思う。最近大きな道路が出来る、その家の田んぼが、掛る訳なんです。どうしてもそこだけは、それでも百姓の命として、離せれないと。主人もそれからご両親達もここだけは離されないというて、その村内から、判を貰に凝られるけれども、判をどうしても押す気になれない。奥さんだけが信心されますのですけれども、とにかくまぁ切羽詰ってから、とにかくならお前が、お参りをしておる、その椛目の金光様にお伺いをしてからと云う事であった。
 それはそれとしての願わせて貰うて、やっぱり素直に判は、押さなければ行くまいと云う事で、判を押させて頂いておった。その時の御理解がですね、お父さんでもご主人でも村の人達にでも、あっちもこっちも立ち行くおかげでなからなきゃならん。同時にあなた自身が神様のおかげというのはこういうものかと、その、分からせて頂く様なおかげにならなければならんという御理解であった。夕べ出て参りましたけれども、先生仰る通りのおかげになりましたと。
 もう本当にそりゃもう主人が、いっとき喜んで、父も喜んで、村内の人達も本当に、あんた方の主人なもういよいよ風雅人だと思よったけれども、あいう時にスパット、判を押して貰うたおかげでというて、村の内からも喜ばれる。様な、いうなら、おかげを頂いて、実は私自身も先生が仰る様に、神様のお働きの本当に恐ろしいごとある働きに驚きましたちゅうて昨日言うんです。
 道がですね、ちょっと一枚上の方へ変更になったんです。事情を色々話してましたけれど、その変った具合というものがですね、なんともかんとも、言えん様なその、あちらも立ち、こちらも立ちして、皆んなに喜んで貰うて、そして自分自身は神様の働きを実感する事が出来たというおかげなんです。私はお道の信心はそう云う様なおかげに成って行かなければいけないと思うんすね。あちらも立ち、こちらも立ち、そして自分もおかげを頂いて行くと云う事。
 そういう道があるのです、それがどうも片手落ち的なおかげに成って行く。おかげはおかげでも、おかげ振りが違う。人間の浅はかな知恵で、どうぞどうぞというて願うからまあ、しょうことなしの神様のおかげを下さるに違いはないのだけれども。もう、神様任せになってですね、おかげを頂く時に、そう云う様な本当に天地が自由になって下さる様なおかげにも成って来るのですよね。
 もう一人は、皆さんもご存知でしょう、山田さんちゅて非常に熱心な方です。急に、上熊本教会の先代亡くなられました。女の先生です、非常に熊本で有名なお徳の高い先生だったらしいですね。上熊本教会の先生を始め、信者さんが沢山ここにこうして、お参りをしておった時代から、参って来て居られた訳で御座いますけれども。その方が、お魚屋さん。魚の行商をしておられます。けど魚の行商の方はまぁ付けたり様なもんで、実はもうお導き専門、この人は。
 上熊本の信者の殆どは山田さんの手に掛っとらん者は居るまいと言う位に、お導きが出来た。もう部落が一気にもう部落全体こうもうが、そのお道の信者に成るちゅう位に熱心にお導きの言わば名人なんだ。神様の願いもあろう期待もある方だろうとこう思うです。その方が一番初めに椛目にお参りさせて頂いたのは、その先代の先生が亡くなられて段々お導きをするけれども、お導きをする人が助からんごとなって来た。ですからこの頃自分のお導きも当てにならんので、その皆がお導きが出来なくなって来た。
 あの辺がなんとも言えん所ですね、導き、お導きというけれど。中心に助かる力がなかったら、やっぱり駄目ですばい。 お広前そのものにです、矢張り助かる力がみなぎっとらなければならん。それに信者のお導きそれが合い持っておかげ頂いても行くのである。 いかにお導きの名人だと言うて、それこそ引張るように連れて参って来てもここに助かる力がなかったら、それは却って悪い宣言をする様なもの。
 ですよね、あの人が言いなさったけん参ったばってんか、一ヶ月参れちゅう言うたけん、一ヶ月参ったけれどもおかげ頂き切らんじゃったちゅうのは、却ってそういう宣伝をする様なもの、ね。だから私がお導きと云う事はあんまり言わん。自分の力を知ってるから私が。ですから、本当に神ながなお導きを頂いて、神ながらに参って来る人は、これは私に力というものを私が確信してお導きが出来る。神様が集めて下さるのであるから、ここで助かれる人なんだ。
 どんなに医者が見放したというても、どんなにこんがらがった難しい問題というても、いわゆる私が言う通りすりゃ、おかげ頂くと云う事になって来るんです。確信をもって、まあいうならお導きが出来る。そう云う様な方ですから、一番始めに参って来たのは、商売が段々行き詰って、もう何時の昔にこの人はお道の教師にでもなっとかなければならんと、まぁ自他共に許しておる位な信心を頂いておられるお方である。
 ですからその丁度、去年、おとどしでしたでしょうかね、学院に入るか入らないかと言った様な事で、お伺いに見えた。いわゆる御道の教師としておかげを頂くというチャンスを願われた訳である。そしてその時に、神様がもう一言の元にですね、あぁ教師でんなんてん、もう教師でんなんてん。そんな事なか、あんたの御用はまだ他にある。まだ、今のお商売に打ち込んで。
 教師になる自分な教師になると思って、商売しよったら商売がいっちょんいかん。まぁそれで山のものと海のものが分らんのだけれども、まだ御神意がそこまで言わば機が熟していない。自分が頂いておる商売に打ち込んで行かなければと言う事であった。それからもう2年になりますでしょう。昨日は「先生もういよいよ行き詰ってもういけません」、と言う訳なんです。いわゆるこう私がその話しを聞きよっても、機が熟したなぁとこう、その2年間の間にどう云う様な事であったかというとですね。
 まぁ一番主な事はですね、もう山田さんが学院行をさても、例えば教会に修行に行かれても、もう良かろうと言う位なおかげを頂いておられると云う事です。商売はいよいよ行き詰まられた、所が何ヶ月前だったでしょうか、その奥さんの兄弟が食堂を始められた。そこの責任者が無いので、山田さんの奥さんと娘さんがそちらの方へ管理の様にして、移り住まわれる様なおかげを頂かれた。ですから家内子供の事はまあどうやら、こうやら自分がおらんでも、その心配が無いというおかげを受けておられる。
 2年間の間に。まだ他にもいろいろありましたけれど。子供さんの就職の事とか、言った様な事とか。それで、ご自信も言わば、心置きなく修行に打ち込まれるというあれが出来た。そして最近はもういよいよ、その魚屋さんが出来なくなるほどに、行き詰まってしまっておられる。その事を一生懸命お願させて頂いておりましたら、お夢でしたでしょうか、ご心眼だったでしょうか。
 お知らせを頂いて、今日はもうその事をいよいよ右か左かをお伺いの為にというて参って見えられた。頂かれて居られるのがお知らせというのがですね。大きな瓢箪を頂かれた、次に傘を一本を頂かれた。次にはね、私がと思うとったら、それは私ではなか、私というのはその山田さん。私ではなくて、そのウサギがですね、皮をはがれているウサギがもうじゅつのうて、苦しゅうて堪らんと言うような状態の所を頂かれた。もういよいよ山田さん時期が来たごたあると私は申しました。
 瓢箪というのは、まぁほら見て御覧なさいというて、楽室で御座います、私のここの部屋に、こんな大きな瓢箪が、こんな大きなちゅうて三升入る瓢箪が吊り下っております。大きな瓢箪が、まぁ私が大体瓢箪のごたる人間だと思うんですね。あの久留米の佐田さんが頂いて居られる様に、ほんに椛目の先生ばっかりは瓢箪鯰のごたる人だと、お夢の中で頂いたとこう言う。掴み所がない、深いやら浅いやら、良か人やら悪人やら分からん。優しい人やら厳しい人やらも分からん。
 もうとにかく掴み所がないのが椛目の先生だと、こう言うまあ様な意味の事を頂いておられるんですね。本当に私そう思うんです、人間が軽がるしい瓢箪のごとあるね、どうも心が浮いた浮いた様な調子がある。もうとにかく馬鹿んごたる所のある、けれども山田さんそういう、例えば、部類のあんたもそれにまあよう似た様な者かもしれん、椛目にご縁を頂いたからには、ね。
 類は類を持って集まるというから、あんたもやっぱり瓢箪の様な者だろうけれども、瓢箪に醤油を入れたと云う事をまだ聞いた事がない。瓢箪に家は油入れとりますと云う事も、聞いた事がない、やっぱり瓢箪には何というても、お神酒より他に入れるものはない。 その瓢箪にも、浮いた浮いたの瓢箪でもです、これに一杯お神酒が詰ったら素晴らしいんだと。有り難き、勿体無きの受けものだけは持ってるんだと。だからこれに有り難き、勿体無きが入ったらです、これは立派なもんなんだ。
 だから、その有り難き、もったいなき、恐れおきという御神酒をこの瓢箪一杯に入れさせて頂けば、私は瓢箪ぐらいな者なんだけれども、私は詰らん私なのだけれども、中身には有り難き、勿体なきが一杯と言うあなたにならせて頂く、いよいよ時期が来たよ。あなた方こんなご理解頂いた事なかっただろうかというて、私はそのそういう、話をさせて貰った。ある教会で信心をなさった方が、もうそれこそもうあなたがおかげ頂かん筈がない、と云う様な熱心な信心をなさった。
 ところがもうあんまり熱心さのあまりに、家も屋敷もあげてしもうた。もう先生があれと言いなさりゃもうそれこそもう言いなさる通りの事をして、言わば丸裸になってしまったという、ご信者さんが参って来よんなさったその方が頂いたご理解である。あの古事記の中に因幡の白兎と言う物語が御座いますですね、ウサギがある時あの島に移りたいと思うた。けども自分が泳ぎが出来んもんだからその一計を案じた案じだした。
 してその、ここの何時も波打ち際に遊びに来る魚をつかまえてから、大体お前達の仲間と俺達の仲間はどっちが数が多いだろうか、と話をかけた。そりゃ、俺達が多い。いや俺達が多いぞと云う訳。そならひとつ数を当たって見ようじゃないか。一つ、この島から向こうの島までづっと、お前達並んでみよ。私がそれを数えと、その数を読んでみるからと言う訳なんです、ね。
 魚がだまされてこう並んだと。ウサギはその上を走って飛びながら、まぁ一、二というて、数えて一番最後に、お前達たちゃ馬鹿じゃなあ。俺はこの島に来たかったんだと。まぁそう言うたと。それで、まぁ言うとが、早過ぎたもんだから、一番最後におったその魚がそれをつかまえた。そしてそのうさぎを丸裸に、皮をいきなり、皮を剥いでしもうたとこう言うのである。
 まあ苦しいもんだから、その泣いておる所へ、通りかかりなさった神様達があった。それが、大国主尊のお兄さん達であった。そのお兄さんが教えらっしゃった。そんなら、その海の水で体を洗え、そうすりゃ良くなると言われたもんですから、言われる通りにした所が、まぁ裸になっておるもんですからどっこい。体がもう痛んでたまらん。そこへ通り掛れたのが、大国主尊であった、大黒様であったと。 
 それで痛かろう可愛そうあそれではいけない。先ずガマの穂を取って来い。がまの穂を敷きそして清水で体を洗ってその上に休んだら良かろうという、そのお指図のままにそうさせて頂いたら楽になったという話なのだね。本当に私今の教団の中にというと何かそのまあ、全部が全部じゃないけれども、一部にはそう云う様な所がある様ですね。先生が言わっしゃる通りにして丸裸になったという信者があると云う事ですよ。
 そして先生を恨み、神様を恨むと云う様な結果にすらなっている人達があると云う事ですよ。いわゆるお兄様達の言う通りにしてから。却って情けない結果になってしまったと云う事なんですよ。そこで言うならばまぁ大黒様。ここで私は大黒様と言う風に表現して下さるから、是からは大黒様の言う通りにひとつなさったら、おかげが頂けれるだろう。そこから生まれて来るのが喜びであり、もう有り難き勿体無きの瓢箪一杯に、中身が有り難き勿体無きで一杯に成る時に、又次に頂けれるのが安心だと云う事。
 傘のね、瓢箪と傘のお知らせを頂いておられると云う事は、傘は安心。同時に、教祖の御理解の中にもある様に、この方の道は傘一本で開ける道と仰る。傘一本で蛇の目傘一本で開けるという意味じゃなく、自分の心の中に頂いている喜びとその安心一つで開けれる道だと。安心の開けれる程の道を自分が体得したらです、その安心によって沢山の人が安心の出きる様なおかげを頂けれるのだ。
 山田さん、こう云う様なお話を聞いた事はなかったですか、椛目でちゅうたら、そう言やあ先生、何時かそのお話を頂いた事があります。もうそういう段々時期が来た様に思うなというて、まぁ昨日話した事出御座います。傘といい、瓢箪といい、又は丸裸にされたウサギと言い、又私が一番始めに宮崎さんの例を申して、申しましたその道路その事といい、その事の中からです。 
 お道の信心振りというものはこう云う様なものだと云う事が、段々分かられただろうとこぉ思うのです。丁度山田さんが昨日言うておられましたが、先代の先生がそのもういよいよ何も出来ない時にお願いに行った所が、先生が魚屋をせろと言われた。所が先生その魚というのは、私は握るとも好かなきゃ食べるとも好かん。もう大体扱うとが好かん。その私に魚屋をしろもう大体が果物を作られますけん、果物屋か何かじゃならよかばってん、そりゃでけんと言うて一月ばっかし私の言う事を聞かんじゃった。
 とうとうもうにっちもさっちも、家族中共で、パン屑を買うて、パン屑を食べならん位に、落ちぶれてしもうた。そしでいよいよ、出来んもんですから、その(?)という先生でしたがね、(?)先生の所に、先生もういよいよいけません。あなたが仰る通りに魚売りにでもなりますからと言うた、なら魚売りをせじゃこて。所が先生、もうする気になった時には、一銭の資本金も御座いません。
 見てみなさい、私が言う通りにせんから、というてまぁ御叱りになったけれども、お賽銭箱をひっくり返して六百円、丁度八年前のお金で頂かれたと云う事です。それでアジを一箱買ったら五百円だった、百円あまった。百円がつり銭だった。もう瞬く間にそれが八百五十円で売れた。二百五十円もうかったと言われますが、そげんなりますかね。それが私がこの八年間魚屋をさせて頂いた始で御座いましたと。
 本当にあの時に、親先生というのは、本当に肉親の親よりもました、親先生で御座いましたというて、先代の先生の事を、言うておられましたがです、先生任せにならせて頂くと云う事がです、そして八年間、今日またちょうど、八年前と同んなじ様にです、私は、にっちもさっちもいかん様になりました、けれども、おかげを頂いて、椛目に二年間おかげを受けておる内に、家内やら子供やらの事は、まあどうやら、もうほっておいても良い様になりました。
 まぁ一時家内と別れた気持ちで、本気で修行させて貰うて、という気持ちに成らせて頂いたら、そういうお知らせを頂き、今晩ここで親先生からうした、その事に付いてのご理解を頂きましてから、腹が決まりましたというてから、昨日喜んで帰られた訳で御座いますけれどもね。そういう例えばお話の中から、金光様の御信心というものがどうあらなければならないか、どういう姿勢でなからなければならないかね。
 おかげを受ける為には、天地が自由になる、天地がご発動まします様なおかげの為には、どう云う様な信心に矢張り度胸がいるかと云った様な事が大体お分かりになったと思うんですね。これをどうぞ皆さん私は纏めません。皆さんがその、皆さんで一つその纏めて頂いて、お道の信心のあり方というものをです、今のおかげ話の中から、一つ分かって頂きたいと思います。
   どうぞ。